Dr.ピペリジンのブログ

少年は思った、ドラッグストア でポテチ売りたいな。そんな気持ちで薬学に進学した人の後日談。お問い合わせも気軽にどうぞ。

大学卒業から10年、これまでを振り返ってみる

こんばんは、伊予柑です。

お盆ですね。僕はバブル方式なんて言いつつドアツードアで妻と実家に帰省してました。実家は何がありがたいってご飯と洗濯物の心配をしなくて良いこと!息子の「起きたー!おしっこしたー!ミルクー!あやしてー!寝かせてー!」って要望に答えるだけで良いのでそれは本当にラクです。普段はこれに料理洗濯たまに掃除となれば途端に目が回る忙しさですよねぇ。それでまぁ時間があるので三人で近くの公園でも散歩できればと思いベビーカーも車に積んで帰省に臨んだわけでありますが、皆さんご存知の通り雨、雨、雨の連休でした。一度も散歩できず、赤ちゃんが濡れるのはかわいそうなので妻と家の前の道路をぐるっとして自販機でジュース買って帰っただけですよトホホ。雨で人流が減ってコロナが少しでも落ち着けば良いですがねぇ。どうでしょう。

 

被災された方は本当にそんな呑気なこと言ってられないで大変だと思いますが、とにかく身の安全を確保して、それからどうか精神の安定を保って下さいませ。避難所生活の疲弊感は熊本地震で経験しております。当時D3だったのですよ。ほんと「あ、もう研究どうでもいいやー」になる一歩手前でしたよ。(いやなってたか?まぁ「君はもうアカデミックには必要ないよ」と言われるまで、ポジションがある限りはやってみよかなと思ってノラリクラリしてたらイギリスで3年、日本で2年目に突入しました!次あるかは全く分かりません!5年間論文Zero、ふふふしかしやることはやってるのでそれはお楽しみに)

 

ま、そういうワケ(どういうワケ?)で6年制私立薬学の大学を卒業してからあと半年で10年になるのでこれまでを振り返ってみようかしら。いやほんと色々と失敗してるんで読者さんは「あー気をつけなあかんね」と思ってくれたら嬉しい。自分がブログを書くのは自分と同じ過ちを繰り返して欲しくないからやで。

 

高校時代(2003~2006)

地元進学校。高校の偏差値は60くらい?
高校1年。

春。少年は勉強した。学校から帰って宿題と予習。苦手な古文も「すーさすシーシーシムシム」とかっつって頑張ってた。そしたらアレよ。40℃の発熱。純粋無垢だった少年はこれが天啓だと考えた。「あ、俺勉強向いてないわ」そこからはあんま勉強しなくなった(予習はやめて宿題くらい?)。ま、ちゃんと宿題やってる限り数1Aなんてのは余裕で全科目の学年順位も上位30くらいには入ってたんじゃないかな(記憶が怪しいけど)。担任も難関大学目指して頑張ってほしいと言ってたわなアロワナ←伏線。

 

高校2年。

パンドラの箱を手に入れてしまう。初代モンスターハンター。2021年現在、今でこそ周りにはやれニンテンドーSwitchだPS4だソシャゲーだと中毒性が高く時間泥棒なゲームがありふれているが、僕の時代はスーファミゲームボーイから始まってプレステ、セガサターン、64にプレステ2と、せいぜい20時間もプレイすればたくさん遊んだなって作品が主流だったのですよ。そして2004年に発売のモンスターハンター。(あ、これアロワナの伏線回収ね。わかる人はわかるでしょ)

オンラインで友達4人といつでも狩に出かけられる。チャットでの何気ないやりとり。そして終わりのないゲーム性。一通り狩尽くして装備が強くなると今度は先輩ハンターとして野良の初心者中級者を導いていく。いやぁほんとに面白すぎるでしょう。勉強どころじゃぁないですよ。それに何より高校一年の天啓によって勉強に対するやる気は無いですからね。

一番の思い出は数学の期末試験の前日に徹夜で老山龍を倒して上級に行ったこと。ベクトルの試験の点数は29点でした。とんだバカヤロウだよそれが伊予柑です。

 

高校3年。

進路に本人も担任も頭を悩ます。

数学:ザコ

現代文:標準、古文漢文:藻屑

英語:ゴミ

化学:そこそこ

物理:そこそこ

地理:うんち

 

担任「いやぁ伊予柑くん志望は教育学部だっけ?国立は厳しいて」

僕「はい、国立はもう諦めたので私立薬学部にします」

担任「えっ?えっっ???Are you sure??????」

 

この状況には補足が必要だろう。

2005年あたりはまだ私立薬学といえども今ほど数が多くなくかつ4年制だったことから、資格も取れるということで一定の人気学部だったのですよ。それで偏差値は高いところは私立で~65、それ意外は大体50~55くらいあったんですよ。今は慶応、星薬あたりをのぞいたら60は切ってるんじゃないかな。アタクシの母校も受験当時は50あったんですが今は見る影もなく35。35ですよ。もう一回言います。35っ!!!。まぁそんな訳で2005年というのは難易度で言えば国立薬学>>国立教育≧私薬>私立教育って感じだったのでその成績で薬学ってマジかおいおい状態だったわけです。

 

それでまぁ私立薬学というのは今も変わってないと思いますが数学、英語、化学で受験できるので、化学は私薬くらいならダイジョブね、数学は1Aは大体理解してたので2Bだけ勉強、英語は気合いってな感じで考えてたのです。

 

で、結局ね、5月〜8月まで勉強したらセンターレベルの化学はカンストしちゃって模試も満点狙えるか?って感じ、数2Bも大体理解して8割は得点できる状態になったのだねぇ。それで模試の成績が大阪薬科がE判定からB判定まで上がったモンだからもううかった気でいました。そのあとはそんなに勉強に身が入らずに成績は緩やかに下降、特に英語が著しく悪化して残念ながら大阪薬科、神戸薬科は不合格。残念!だからねぇ8月の模試とか全くコレからだから調子乗ったらあかんかったのよ。

 

今はいちお薬学6年勉強して相当な試験数こなして卒業試験やって国試やって、ついでに大学院試験もやったんだから、メーちゃくちゃ勉強したから色々わかったんだけど、闇雲に勉強してもダメだね。そうだな、高3だったら8月までスタートダッシュを切るのは正解だと思う。この時期に理系科目の基礎はマスターしておきたい。記憶力が試される英語、古文漢文なんかは毎日のルーチンとして単語と長文読解くらいは1時間くらいやったら良さそう。8月からは模試の成績を見て足りない部分の補強、解けなかった理系応用問題への対応とかだね。普通にこれでセンター試験8割はいける(のではなかろうか???)。もうセンターってなくなるんだっけ?

 

はーい、そんなわけで私立薬学部へGoとなったわけですね。

 

私立薬学時代(2006~2012)

大学1年生。サークラ咲いたら一年生。とーもーだちはーできるかなぁ。

 

結論、できませんでした。ドワー。

 

簡潔に述べますと周りアホすぎ俺不幸男キモすぎメンヘラ女やばすぎ。

ちょっと友達にはなれないかなぁ。大人になった今でもあんま関わりたく無いっす。

 

なんかなぁ、僕、高校で遊びまくったから大学で勉強しようと思って私薬行ったわけだけど、世の中って広くてね、読者のみんなも覚えといた方が良い、偏差値50くらいになると「ほんとまぢガンバッテ薬学キタノ」っていう子が結構多いんだわぁ。勉強ガンバッタから大学では思いっきり遊ぶの、国試のトキまた頑張るから的な。←コレがほんと多かった。僕にとっては本当に国試前に頑張ろう精神は理解不能で、今勉強したことが国試に出るんだから今やろうってスタンスで6年間頑張ったけど、多分これ正解ですよ。

 

それでまぁ、うーん、大学入って勉強するかしないかは究極的には自由なんだけどさ、僕的には大学1年の勉強なんてのは高校+α 程度の内容(科目によっては高校以下)だったので「いやぁ簡単ですね、退屈ですね」っていう感じだったんだけどそれが周りはかなりムカついたらしい。いやさ、そう思うなら僕より勉強したまへよと思ってしまうのだけど、だから結局友達にはなれないって事なんだよ。今はもうそのように納得してます。

 

大学2年生。

伊予柑少年は大変不満でありました。全然勉強しない同期。レポートの写しだけ要求される関係。勉強できるのがムカつかれる環境。ここに止まっていては僕もダメになってしまう。Distinguish(はっきり区別:優秀という意味で使われる)しなければ。

 

有機化学の研究室のドアを叩く。

 

僕「研究させて下さい」

教授「どーぞどーぞ」

 

飛び込んだらどうにかなるやろ精神で研究室に行ったけどコレがまぁ大変な環境でして。先輩、朝の3時4時まで毎日おるやん。僕は授業終わるのが夕方の17時30分とかだった気がするから18時くらいから深夜2時くらいまでは毎日実験しましたよ。早い日で12時30分とかでしたな。うん、朝起きて講義に行くのが何よりきつい。授業なんも頭入らん。寝かせて。おやすみ。

これの繰り返し。もう大学6年の卒論発表まで。毎日毎日。

 

コレが研究室だって感じで、まぁ誰も他の研究室のことは知らないから先生に言われたらそのまま従うしか無いって雰囲気でした。これに関しては僕の中で未だにモヤモヤしてる未解決の問題です。

例えば私立薬学の学部生なんてのは薬剤師になるのが目的であって研究なんて99%興味ないんですよ。そういう学生に自主性を尊重して研究やらせたらどうなるか。絶対何も進まん。これって助教の先生にとっちゃ死活問題。学生を働かせて自分の業績を稼がないと教授になれない世界だから。じゃ自分でやればって、自分でできる範囲にも限界があるし、学生を奴隷化した方が成果が上がる。一方で研究者として活躍できるような指導(例えば週一の進捗ミーティングや文献紹介)があるかというと、これは皆無と言えるほど全くなかった。それもそのはず、一生懸命時間とって教育して、センスある学生はやっと先生と研究の意思疎通ができるようになったかな、もうちょっとかなってタイミングで大体は卒業になる。そしたら次に入ってくる学生にまた一から。。。となると、こりゃ研究室で教育するより「なんでできてないんだよボケー!」って怒鳴って実験数稼がせて結果出させる方がやはり成果になる。


だけどコレが教育の現場で行われている事に関して言えば疑問である。教育とはかけ離れた実態だと思う。学生は苦い思い出として研究室生活だけが残り、研究者としての智が得られたかというと、あれだけやっても全くのトーシロ。とりあえず、やはりこの環境は教育、環境という側面から言えば最悪なのである。

 

要するに私薬で研究やるなら国立でやった方が良いという話なのである。しかし、私薬出身の僕としては後続が輩出されてほしい気持ちもあって複雑な心境である。

 

長くなったので大学院〜現在は続きで。