絵本「ちいさなねこ」の解釈
お久しぶりのイヨカンです。
最近は育児が忙しくて、というか日常家でパソコンを開く時間もスペースもなくてブログの更新はからっきしでしたが、二の足を踏んでたスマホででも書いてみるかって事で書くことにしました。
育児してたら沢山の絵本を読む事になります。
それで、まぁたいていの絵本は、とてもわかりやすく、シンプルな言葉で、ストレートに表現されてるものが多くて、その一方でストーリー性とか、奥深さ的なのは限度がありますね。
ところが今回タイトルに挙げさせていただいた作・石井桃子の「ちいさなねこ」という絵本の奥深さに感銘を覚えたので書いてみようと思いました。
まずストレートに読むと、主人公のちいさなネコがお母さんの見ていないスキに危険な外に飛び出して、男の子、車、犬と次々と危険が迫ってくるなかなんとか木に登って逃げて、犬に追い詰められているところを異変に気付いたお母さんネコが助けにけられて、最後はお母さんとほっと安心のシーンで終わるというものです。
ネコちゃんのイラストが可愛かったり、お母さんのスキをついて子供が勝手に危険なことをするのはよくある事、最後はやっぱりお母さんだね、という共感ものの絵本、というのが普通の読み方なんだと思います。
だけど、自分はこの絵本、最初に読んだ時から実は違和感を覚えました。
とおせんぼをした犬がネコちゃんに引っ掻かれて怒ってネコちゃんを追いかけるシーンです。
なんとか木の上に逃げたネコちゃんの木のしたで、犬はがんばっている。
木の下で犬はわんわん吠えている、ではなく、また木の下で犬は怒っている、でもなくて、木の下で犬はがんばっている、と表現されています。
作者はなぜがんばるという言葉をチョイスしたのか、自分は違和感でした。
国語力豊かに言えば、がんばっているという表現でも十分に状況を理解できるようにも思います。
そしてもう一つの違和感、それは、登場人物の男の子や犬、どちらもとても悪いようには感じられない点です。
もちろん子供向けの絵本なのでいきなり恐ろしい状況などはあり得ないわけですが…。
前置きが長くなりましたが、息子に何度も「ちいさなねこ」を読んで、そして毎日たくさん育児して、この絵本の別の解釈にたどり着いたのでシェアしますね。
この絵本でネコちゃんに降りかかる危険は、男の子、自動車、犬、降りられないくらい高い木。
さて、この危険のうち本当のキケンはどれでしょうか?
僕が思うに、この中で危険なのは自動車と木の上だけです。
要するに登場人物(動物)は全員、ネコちゃんの味方なんです。一つの家族を登場人物や動物に変えて絵本に表現しているんじゃないかなぁと思います。えーっと思った方はぜひ下まで読んでみて下さい。
ちいさなねこ: これは言うまでもなく赤ちゃん、あるいは子供。母親がずっと観ていないと勝手に危ない事をして、勝手にピンチになります。ウチの息子も椅子の上ではしゃいで勝手に上から落ちたり、坂道で走って転んでケガをしたり。まぁずーっと観ていてもこちらの隙をついたり、あるいは一瞬で危ない状況に変化するので、本当にハラハラですよ。
お母さんねこ: これも間違いなくお母さん。子供が困った時、結局なんとかしてくれるのは、たいていお母さんです。そして子供が1番安心できるのも、お母さんなんですね。
男の子: ネコちゃんを捕まえてイタズラしてやろうと思ってた悪ガキ、ではなくてですね。この先に行ったら車が通ってるから危ないよ!と一生懸命ネコちゃんを制止してた、きっとお兄ちゃんのような存在です。自分の息子もいつも危ないことをやりたがるので僕が止めようとすると、やりたいやりたい!という風にかんしゃくを起こして僕をべしべし叩いたり、頭突きしてきたり、引っ掻いたりします。絵本の男の子もネコちゃんに引っ掻かれて、結局自動車が通る道路に逃げられてしまいます。
自動車: これはそのまま、危ないものの象徴ですね。とにかく育児は危険がいっぱい。ウチの息子も公園の遊具で遊んでいて、頭から石の角に落ちそうになった所を友人(いわゆるパパ友)に助けられて本当にヒヤッとしたことがあります。あのまま頭から石の角にぶつけていたら救急車が必要だったかも知れません。
高い木: これも危険な象徴ですね。行きは良い良い帰りは怖い、とはよく言ったもので、育児をしていると、一体全体どーしてそんなコトにナッテルノ?と頭を傾げたくなるような、オーマイガッドな状況になっていることがたまにありますね。例えばベッドとベビーベッドの隙間に入って出れなくなって大騒ぎしてるとか…。
さて、いよいよ最後の登場人物、そしてこの物語の最もユーモアのあふれる存在です。
犬: ネコちゃんを痛めつける野生の犬。ではなくて、この犬、お父さんの象徴なのでは、というのが僕の考えです。え、ネコちゃんの家族なのに…犬?
うんうん、変ですよね。
本当に変ですか?
ネコと犬、別の生き物。
これが最大のユーモアなんです。
この物語は基本的には育児なんです。
赤ちゃんが勝手に危険な事をして、勝手に大変なことになって、最後はお母さんという世界中で無限に繰り返される育児の流れそのもの。
お父さんは育児にどの程度参加してますか?
裏を返せばお父さんは赤ちゃんの事をどれくらいわかってますか?
え?ぜんぜん分かってない!だって?
お母さんと赤ちゃんの声が聞こえてきそうですね。
育児のことを全然分かってないお父さん、もはや別の種族じゃない?っていう話です。
あるいは、もうお父さんは別の扱いでいいやって感じ。
犬はお父さんの象徴なので、赤ちゃんが危ないことをしようとしたら、もちろん止めますよ。
だけど普段育児をしてないお父さんに何かを止められては赤ちゃんも嫌ですね。
大泣きしちゃいます。
お父さんはどうしたら良いのか分からずにおろおろしてます。
これが当に、犬は木の下でがんばっている、という表現なんです。
お父さん、がんばっている、だけど全然泣き止まない!
結局最後はお母さん。
お母さんネコが犬に「ふうっ」と怒って「ちいっ」と怒って追い払いました。
という表現。
これはさながら、「もう!こんなちょっとも赤ちゃんを任せられないの!邪魔だからあっちいって!」と育児で役に立たないお父さんに怒っている母親のようではありませんか?
最後はお母さんが赤ちゃんをよしよしして一緒に横になって終わり。
と言う話なのではないかなぁ、とイヨカンは思ったりしたのでした。
かなり昔の作品ですから、男は仕事、女は家事育児というような時代なので、その頃は一つの家庭でももはやネコと犬くらい違う生活というのも珍しくなかったのかも知れません。
最近は男性の育児というものに世間の関心が高まっておりまして、当然私の勤務している国立大学様もダイバーシティ教育など力を入れておりますので、私の場合は育休を申請したところ退職を迫られたり、土曜の昼育児で研究室に行けない事について情熱が足りないと文句を言われたりほんとにクソでございます。
貴方のお家の旦那さんはどうでしょうか?