学生の指導について
ある後輩が言った。
研究室は厳しかった。
だけどそれは日本の良さでもある。
出来ない自分がここまで出来るようになった。
厳しい環境だったからこそ成長したと学生が思うのは完全に洗脳で、真実は出来るヤツができるようになったというだけの話と僕は思っている。
指導する側は厳しくしないといけない病気にでも取り憑かれているのか、とにかくお前はダメだ!の烙印を押したくて仕方ない教員が日本には多い気がする。
僕がいた大学の先生達は基本そんな感じだった。
来週がポスター発表で今の状況が化合物データ2つしかない?どういう計画で実験してるのか?頭おかしいんか?来週までに化合物データ10以上に増やせ!
とめちゃくちゃ怒られて大学3年の時に1週間ほぼ寝ずに50実験くらいした記憶がある。(私薬のみっちり埋まった講義も全部出てたよ!)
これだけきくと実験の立て方がまずかったのだろうと思うかもしれないがこの話には裏がある。
さる2ヶ月ほど前に僕はちゃんと先生に化合物データを増やす方向で実験していいですか?と相談に行っていた。
先生はそんなんやらんで良いよ的な返事だったので、言われた二つの化合物データに関する実験をきちんとフォローする事に徹することにしたのだ。
来週がポスター発表に迫って進捗が気になったのか、ふと化合物データがいくつか尋ねてきて発覚したヤバい状況。
これはどう考えても僕が相談に行った時にきちんとポスター発表を見据えた計画を伝えるべきだし、僕はそういう方向で提案した事さえ、スルーされてしまった。
結果1週間で講義プラス50実験という厳しい指導を受けるハメになった。
この話、要するに自分はそういう提案がたかだか学部3年で出来ていたわけで、だからこそ今でも研究ができるヤツ、というだけの話といえる。
逆に上のような激烈指導で自分の4、5倍は実験させられてたであろう先輩達のほとんどは研究なんてもうやってないと思われる。
これ、なんか厳しくする意味、あるんすかね?
まぁ指導する側からしたら無制限実験させ放題で厳しく叱責して実験させてたら(素直な学生なら)成果は多く出るかもしれないので、味を占めてるのか?とも思われる。
因みに学生を厳しく指導するってのは、相当な労力が必要なのは間違いない。僕はそんなエネルギーはないし、実験者にこそ最大のリスペクトを払うべきとの考えがあるので、一緒に考えて、こちらが提案することに納得してくれれば実験をお願いする立場である。
この方針はオックスフォード大学で自分が受けた教育であり、それが世界一の理由の一つであろう。
日本は何位くらいだっけ?
厳しくしないで学生が成長できる指導や環境について教員側が多く時間を割いて考えるべきだと思う。