Dr.ピペリジンのブログ

少年は思った、ドラッグストア でポテチ売りたいな。そんな気持ちで薬学に進学した人の後日談。お問い合わせも気軽にどうぞ。

実力のはなし【博士過程がしんどい時に読んで欲しい】

 みなさまこんにちは、コロナが蔓延して大変な事になっています。イギリスももはや例外ではなく学生たちが騒ぎ立てております。お身体にお気をつけて、自宅待機で暇してる方にちょっと読んで考えていただけるような、そんな記事がかけたら良いなと思います。

さて、我々が生きる現代では何をやるにも実力がものいう社会になっております。インターネット、スマートフォンの普及は実力社会の恩恵を拡大すると共に、より鮮明に映し出すようになったと言えるでしょう。それゆえ生きていれば誰しもが実力があればなぁと感じる事があります。この実力というパラメータについて最近気づいた事を紹介します。

能力 x 努力 x 運 = 実力  だと僕は思うんですね。



例えば、小さい頃から神童と呼ばれ高い偏差値を欲しいままにしてストレートで東京大学に入学、卒業して大手企業に就職。特に勉強に必死になる事はなかった、という人が多くはないがいると思う。

能力>努力という事になるだろうけど、それは紛れもない実力である。

努力してないとは言っても東大を受験したり就活したりと最低限やることはやっている。

運に関しては、例えばそういう神童的な子供であって親がまともで大学まで進学させてくれるという保証はどこにもない。親ガチャという表現でネットでは書かれたりする事もあるように能力があれば東京大学に入れるというのは間違いで、やはり運は必要だろう。

そして、いわゆる天才と呼ばれる人ほど実力パラメータにおいて能力の比率が高くなる。

最初の例は能力8割、努力1割、運1割と言ったところ。


上記のような天才は一般的ではないのでもうちょっと普通人の話をする。

僕たちのような普通人は概ね能力4割、努力3割、運3割くらいの要素で実力として表面化しているのではないかと思う。あくまで比率なので値を示してはいない(実力が10の人もいれば実力が1000の人もいる)。

この中で最も重要なのはやはり努力だ。

昔から努力と根性と言う言葉が示すように、我々普通人にとって努力なしに実力が伴うことなどありえない。

おそらく何かを始める時、最初はまず努力が10割に近い状態にある。

しばらく努力を続けると、そのうちに能力が上がってくる。

あいつは才能がない、と残念ながら思われるケースがあるのは単純に努力が足りないか、努力に対して能力がついてこない場合である。(僕はそういったケースを私薬で多分に観てきた)

実力のパラメータに運の要素を加えたのは我ながらにいい点だと思う。

運はとても重要だ。

興味深い事に、幸運は能力、努力のどちらもアクセラレート(加速)する力があり、不運はその全く逆になりうる。

にもかかわらず、それは全くもって自分でコントロールできるものではない。

僕はこの運の要素を大学院、そしてポスドクで身をもって経験してきた。

僕はDC1、DC2と言う博士過程学生が国から給料を支給される制度、いわゆる学振に2度応募したが二度ともA判定落ちし辛酸をなめた。

僕は学部2年から研究していた自負もあり学振DC1にはかなり期待していたが、そんなものはあっさり裏切られた。

学部2年から6年制薬学卒業の5年間死ぬほど研究して、その間の論文は3報(2020年現在)ある。

残念ながらその3報の中にファーストは1報もない。
これは僕の卒論研究のテーマの話になるが、僕がほとんど手を動かしデータを集め、研究のアイデアもそれなりに加味された研究でサードオーサーなのだ。

ファーストは助教、セカンドは当時博士課程だった先輩。
理由は単純、僕が学部生だったからだ。おそらく大学院生であればセカンドになった可能性はある。(とはいえ博士課程の先輩の貢献度は少なくないのでセカンドオーサーのジャッジは年功序列、と言うのに納得はできる)。

また5年のうちに学会発表のみでアンパブリッシュのデータがあるが、それがなぜ論文にならなかったかと言うと、教授が興味のない金属を使っていたから、というしょうもない理由だ。これは当時は研究者になる気などさらさらなかったから気にもとめていなかったが、今となっては学生の努力を大変にバカにしていると思う(将来、そうならないように自戒を込めて)。

と言う訳で学部で5年間相当に努力したが成果はいまいち、学振落ちで博士課程において僕は運が悪かった。

博士過程3年次は研究中に憂鬱な気分になったり、研究者は諦めようと教授に相談するなど、不運は能力、努力のどちらに対しても足を引っ張った。

 


一方で僕と同じ研究室の同期は僕と同じく修士課程からの編入で、かなり進んでいた研究を先輩から引継ぎ、それを半年で終わらせ論文にしてファースト1報で、見事に学振DC1採用。

教授は学生の特性をよく理解しており、「あいつはちょっといい思いさせてやらんと博士でダメになるかもなぁ」といっており、修士課程半年で高いレベルの論文、ファーストオーサー、そして学振DC1を手に入れた。そして彼は博士課程でしっかり努力し、研鑽し、腐る事なく研究をやり遂げ博士号をとり、海外留学した後に企業へと就職している。

また彼は「お金ないんです」と普段からアピールしており、そう言う方面での努力を惜しんでいない。(僕は全くやっていなかった、武士は食わねど高楊枝)

その結果が博士課程修了までに彼は数百万円の貯金、僕は600万弱の借金と言う形となった。

彼の場合は教授の思惑通り、幸運が能力、努力のどちらも引き上げた。



話は続く。

運の要素は自分のコントロールの外にあるとはいえ長く続けていると幸運がやってくる確率が上がる、と言う事を最後に加えたい。

前述のように不運な博士課程であったが、努力は怠らず、能力もついてきた僕は、博士課程修了後の海外留学の際に上原財団の留学助成を得られた。大学院でやっとファースト論文1報セカンド1報と言うあまり芳しくない結果で、海外学振はダメ、上原外したら研究者は諦めると言うすんでのところであった。やっとの幸運に恵まれたのだ。

留学期間は1年、成果を出すには厳しいだろうと若干諦め気分で留学(正直でごめんね)。

そして驚くべきはEU最大の助成金、マリーキュリーフェローへの採択。
こんな幸運は二度とないかもしれない。

そんなに賢くない私薬出身、研究成果は並の大学院、日本で評価されなかった業績(少なくとも学振さまには嫌われている)でも、ヨーロッパでは評価された。オックスフォード大学の知名度は言うまでもなく、ある。相当にある。だけどそれでも簡単ではない名誉な事だ。

まとめると、不運もあったが絶えず努力を続けた結果、能力は次第についてきて、それを10年(学部+修士博士)も続ければ幸運に巡り合えたよ、と言う話。

これから先が幸運か、不運か、多分どっちもあるとわかっていれば、苦しくても頑張れる(かもしれない)。

少なくとも幸運は続いていて、7月から日本で次のポジションに移ります。それはまたその内に。

そう言う訳でして、今のところ能力4割、努力3割、運3割の比率で実力として評価されているような気がしてる。

まず最初は努力から。その努力が相当に難しい。能力がついてきたら才能あり。運は本当にわからない。だけど全部かけ合わさって実力なんだって言う話。




能力0、努力0、運10みたいな大学教員がたまにいたりするような気がす。。。。。。。。おっと、この話はこれ以上は危険なようだ。