平凡な人生は尊いのかもしれない
この前、飲み会した時にスロバキアの教育について少しだけ聞いた。
日本でいう小学校5年で大学コース(ギムナジウム)か専門学校コースに別れるらしい。比率は50:50くらいに別れるようだ。(田舎では10:90くらいと言っていたので、愛媛の田舎の小学校から国公立大学に行く比率と同じくらいかも?)
専門学校コースから大学コースに行くのはほとんどないそうだ。
しかしまぁ日本の教育から言うとこれってかなり衝撃的。
だって小学校4年で「はい、あなたは大学いけましぇーん」と言われるのだよ?
まぁとはいえ、日本のように皆が自由に大学に行けるようにして、それで何やるんだ?とも思うわけ。(日本は私立大学が多すぎて底辺だのFランクだの、アルファベットが書けない、分数の足し算ができない等散々な言われようだしね)
日本の場合、大学を目指すかどうかの最初の分岐点は高校ですわな。
普通科高校に行くか専門高校に行くか、だね。
それで、普通科に行く層と専門高校に行く層が学校教育で差が明確になってくるのは案外小学校4年くらいなのかもしれないね。(その辺どうなの、教えて小学校の先生)
まぶっちゃけ中学校ではもう差は開きすぎだぜ!って感じでしょ。
差って言ってもな、普通科に進学する人は所詮テストで点が取れるとか暗記がちょっとできるってなもんで、普通科に行く人もいれば専門高校に行く人もいる訳で、そこはどっちに行っても良いでしょう。(文部科学省、平成30年5月の資料で普通科と専門高校は4:1でした)
思ったより普通科多いっすね。
じゃ平凡なのは普通科進学ってことでオナしゃす。
まぁ良いや。今日はそんなことが言いたいんじゃねーよ。
平凡な人生ってなんだろなぁぁってこと。
平凡な人生モデルを書くべ。
とりま大学行って、大学3年までバイト、サークル程よくやって、大学4年で鬼のような就活して、卒論書いて、卒業旅行行って、就職。良い年齢で結婚して、家庭を持って、仕事は忙しくとも家族の時間はとれて、それなりに養える。(旅行に行くって言う?頭痛が痛いみたいになってない?)
うむ。
これは理想であるな。
そんな理想みたいな話ねーよ!と思う読者さまがいらっしゃいましたらコメント欄で無知なる私に御教授下さいまし。
婚活サイトとかに必ず書かれている、あなたの要求している普通は普通じゃない、みたいな話。上の例はまさにそんな感じさえする。
これは平凡じゃないのかな、どうなのだろう。
僕はもう人としての平凡を踏み外しまくっているので、逆に平凡がわからない。
隣の芝生は青いだからね。だから平凡な人生は尊い、なんてタイトルが書けるのか?
まぁ人生大なり小なり、うまくいったり失敗したりはありますわなぁ。
とはいえ、僕の大学院の後輩たちは皆就職して楽しそうなので(後輩たちが平凡かどうかは自信ないけど、とりあえず博士課程に進学するといったような冒険はしていない)、人生、それで良いよなぁと思うじゃあぁりませんか。
それでね。
僕は(私は)平凡な人生で良いんだ!平凡な人生を送らせて!!と言う若者諸君にアドバイスがあるのよ。
良い感じの平凡な人生を目指したいなら、高校は偏差値60、大学は偏差値50(私立だと55以上くらい)を目標に頑張ったら良いよ、ってこと。
僕はね、知ってるんだ。
偏差値35の私立大学も偏差値50の地方国立大学も、偏差値57の指定国立も、世界最強オックスフォード大学も、全部この目で見たんだよ。
指定国立やオックスフォード大学、はっきりいって、これは僕たちのような平々凡々、ノーマルヒューマンにとって、そこに到達するのは厳しい世界だ。
諦めろと言っている訳ではない。
ルートはいろいろあるにして、決死の努力をすればオックスフォード大学に来る大幸運に恵まれる事もあるだろうよ。(だけど、努力すれば行けます!みたいなキラキラは好かんな!)
将来悲観しなくたってさ、気張らなくたってさ、気楽に行って言い訳で。
平凡であればこそしっかり努力して、地方国立大学に入って、ちゃんと卒業するの。
それで人生はかなり良いはず。
少しだけ僕の話するね。
7月から日本に帰ります。
どっかの国立大学で助教します。
すげーじゃん、オレ、助教だってよ。
だけどね。
教授から「使えねー」「ゴミ」「クズ」「給料泥棒」と言われてクビになる可能性があるんです。
月ー土勤務は確実で、教授に言われたら日曜出勤もありうる職場でしてね。
そんなプレッシャーを考えると、平凡な人生は尊いのかもしれないって話でした。
て言うかね、平凡な人生に向かって努力するっての、とてもとても尊いよ。
将来やりたい目標がない、悩める全中高校生たちに言いたい。
良い感じの平凡な人生を目指したいなら、高校は偏差値60、大学は偏差値50(私立だと55以上くらい)を目標に!
以上!